【東日本大震災から5年】元自衛官が感じた事を書いてみる

 

2016年の3月11日で東日本大震災から5年経ちました。

本当に未曾有の信じられない災害で

多くの方が被害にあった東日本大震災からもう5年です。

今だにまだ2,500人以上の方が行方不明。

震災から5年経過した今でも10万人以上が県外などで

避難生活を送っています。

絶対に忘れてはいけないし、同じ様な震災はいつ起きてもおかしくない

状況なので日本に住む以上覚悟を持って生活しなければいけないと思ってます。

 

2011年3月11日 僕はまだ現役の陸上自衛官だった

東日本大震災が起きた、2011年の3月11日

当時の僕はまだ現役の陸上自衛官でした。

僕が自衛隊に在籍していた期間は

2008年~2011年の4年間(2任期)

震災があった3月11日には3月末で

自衛隊を除隊する事が既に決まっている状態でした。

自衛隊を除隊した後のサラリーマン生活も4月に控えていたので

自衛隊から借りていた備品の整備、返品をしたり

新生活のマンションの契約をしたり、役所にいったりする為に

僕は一般企業で言う代休や有給消化をしているタイミングでした。

自衛官としての戦闘服などは必要最低限のみでその他は返品済。

自衛隊を辞める事が決まっているので、体力をつけたりはせずに

体もなまりきっています。

同じ部隊の先輩達には

「もう、バックギアだな」

なんて言われてからかわれていました。

僕自信も自衛隊の事よりも4月から始まる民間企業への転職

そこで戦う為の準備に力を入れていたので

自衛官としての僕も実際、もう

「自衛官と言う 肩書だけ」

だったのです。

 

代休消化の日に突然の大地震

3月11日も、現役の頃に蓄積した代休を消化していました。

駐屯地から離れたマンションの契約を終えて

ちょうど4月から為にスーツを買おうとお店に入った瞬間に

あの「東日本大震災」は起こりました。

僕が当時いた部隊は埼玉にありましたが、埼玉でも相当な揺れを感じた

事を今でも鮮明に覚えています。

すぐに駐車場に停めた車に戻ってラジオをつけると

「宮城・仙台で震度7強。マグニチュード9 津波がきます」

などと言う言葉が入ってきました。

当時僕が所属する部隊では、日本のどこであれ

「震度5以上はどこで何をしていても強制的に部隊に帰隊する」

と言うルールがありました。

幸いにも僕が車を停車していたお店は駐屯地から車で15分くらいの

位置にあった為、すぐに部隊に戻ろうと思い車を運転しました。

駐屯地までの道のりで僕は初めてこの地震が大変な災害である事を

知る事になりました

 

駐屯地に戻る為に2時間

普段どんなに道が混んでいても30分で着く国道が

全く車が進みません。

最初は地震でみんなびっくりしてるのか?

会社などから自宅に帰る渋滞なのか?

と思っていましたが、後に理由が分かります。

信号機が止まっていたのです

地震の影響で信号機が全て停止していました。

まだ警察官の交通整理も無かった為

狭い小道で車同士の事故が多発していました

これでは前に進みません。

結局、駐屯地まで20分でつく所を

2時間掛けて部隊に戻った僕は

「自衛官として最後に出来る事をしよう」

そういう気持ちで部隊に戻りました。

 

自衛隊って何をしてるのか?

被災地でガレキをどかしたり、ガレキの中から人を探したり

する光景は誰しもがテレビで見た光景です。

実際、自衛官でテレビに映って作業をしている方は少数で

自衛官の9割以上がテレビや新聞では決して報道されない

裏方の仕事や災害派遣への準備

をしているんです。

大きな災害が起きた時にまずはどの部隊も

いつ何が起きてもすぐに対応できる様に

全ての準備を最速のスピードで100%整えます。

僕が部隊に戻ると

先輩や後輩が走り回っている光景が目の前に飛び込んできました。

あまりの光景にボケっとしている僕に対して

「おい!何ボケっとしてんだ!早く着替えて手伝え!」

そう言われ、すぐに戦闘服に着替えて

ドラム缶を運んだり車に燃料を入れたり、所属部隊の災害派遣の

準備をしました。

時間にして4時間~5時間くらいだったと思います。

「これは大変な事になった・・・」

作業が終わり、テレビで津波の映像を見てあまりの悲惨な現状に

誰もが言う様な事を呟いてしまいました。

 

結果として被災地に行く事は無かった

自衛隊は全て命令で動きます。

指揮系統が日本一しっかりしている組織なので

早く被災地に行って災害救助したい!

といくら思っても

命令が無いと駐屯地から出る事も許されません。

3月11日

僕の部隊ではその日、災害派遣に行くことはありませんでした。

ただ翌日の3月12日から、被災した茨城に向かう事が決まっていました。

僕も災害派遣を覚悟していましたが

結果

災害派遣をする事はありませんでした。

理由はもう除隊する事が決まっている事で怪我や病気などを

した場合に転職先の企業に迷惑が掛かる事や

そもそもの現役の隊員で人数が足りている事もありました

僕ら自衛隊を辞める「除隊組」は

災害派遣に行って帰って来た先輩や同期のサポートをする事になりました

泥だらけの車を洗ったり、トラックにいっぱいのゴミを捨てたり

そういう仕事を一生懸命にしました。

 

現役自衛官で良かった

東日本大震災の時に現役の自衛官で良かったと思っています。

自衛官だから感じる事もあったし、本当に微力ではありますが

誰か1人でも被災した方を間接的にでも励ます事が出来たり

力になったかと思うと

僕の人生でちょっとだけ「誇り」です。

自衛隊を任期で辞める隊員は毎年数多くいますが

災害派遣の実務をする方が少ないと思います。

自衛隊を辞めて、もう5年以上経過しましたが

これからも自分が災害時に現役の自衛官であった事と言うのは

忘れないでしょう。

 

最後に

Twitterやソーシャルでは

3月11日 あの日何してた?

と言うのをみんなが書いています

僕はギリギリ現役の自衛官で

ほんの少しだけ災害派遣のお手伝いをしました。

皆さんはあの日何をしていましたか?

 

そして、

もう5年なのか

まだ5年なのかは

人によって感じ方が違うでしょうが

あの日の事を絶対に忘れてはならないし

これから産まれる

「地震を知らない」

子供達には、災害の恐ろしさや

困っている時は助け合う事の重要性

世界中に助けてもらった事などを

僕らは伝えていく必要があると思っています。

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